うきうきマンドリル

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風立ちぬ ~映画鑑賞に予備知識は必要か

映画鑑賞に予備知識は必要かどうか、なんてテーマで論じたりしたいものだが、まずそのための予備知識を持ち合わせていないのでパスです。ただ、本当に映画に知識が必要なのだとしたら、もう僕はもうやり切れなくて、安っぽい恋愛系連ドラしか見られなくなってしまうからつらたんですね。

 

金曜ロードショーを観ることを映画鑑賞だとして映画カテゴリーで日記を書くのも気が引けるけど、昨晩の「風立ちぬ」の感想文でも書こうと思います。まず、これは第二次世界大戦前のお話で、主人公は飛行機の設計士。結果として彼の手によってゼロ戦が誕生するのです。が、今回僕がそういった設定に気が付くのがかなり遅かく、それがタイトルにあるようなモヤモヤを抱いた原因でした。ドイツ人に煙草を分けるシーンで明確に現在起こっている戦争についての話がやり取りされますが、それ以前に本庄と二郎の会話の中でもそれらしきキーワードがあったのではないか、掴めそうで掴めない、どこか引っかかりを感じて話が過ぎていくことがストレスなのです。映画とはそういうものなのかもしれないし、ストーリーを見失うほどではないから問題はないのですが。

 

作品の前半は設計士の半生を、情熱大陸か何かで特集されているのを見ているかのようで、情熱をもって仕事に取り組む姿はかっこいいなぁなんて思ってみていた。本庄との会話の、アルキメデスと亀のくだりは象徴的で技術者の向上心を感じた。二郎の大仕事は、飛行機は美しくも呪われた夢、とラストシーンで締められる。後半になって結核を患う婚約者ナオコとのラブストーリーに主軸が移ったようで、さっき楽しんでいたものを取り上げられた感じがした。なんかめっちゃキスするし(笑)サナトリウムと「一緒に暮らそう」の葛藤にもう少し重きを置いてくれたらまた別の楽しみがあったのに。

 

「生きねば」がどのような深い意味の込められたメッセージなのかさっぱり分からない。仮に二郎に当てはめてみると、淡々と仕事をして、ひたすらに芯の強い好青年二郎は「生きねば!」と言われなくても生きていってしまうだろうにと思う。戦闘機開発の渦中にいても、恋人がサナトリウムで死のうとも。もっと人間の苦悩が見たかった。人生の豊かさは苦楽の振り幅だって、僕の師匠も言ってた。

 

僕は日本人らしく、ジブリ好きを自称するのだが、実のところジブリ作品は狸合戦とラピュタナウシカ、トトロと千と千尋しか見てなくて、網羅しているとはとても言えない。トトロと千と千尋は何十回と見返していて、それらから感じる壮大な世界観や登場人物の無垢さにしばしば涙を零すのだが、今回の映画はそういうところには触れてこない、言ってみれば大人向けの作品なのかもしれない。火垂るの墓ジブリでしたっけ?同じ戦争でも登場人物の立場が変わるとおぞましさがまるで違いますね。監督がそもそも違うのか。そうか。

 

 好きなシーンをいくつか。

・序盤の列車の中での地震の表現が、今まで見たことのない表現で怖かった。急にファンタジーかと思った。

 

・「明日東京に行く。本腰を入れて仕事をするために所帯を持つ。これも矛盾だ」(イケボ)

 

・「片手で計算尺を扱うコンクールがあったら、僕はきっと一位になるね」

 

・”シベリア”なるお菓子。羊羹をカステラで挟んだものらしい。羊羹もカステラも大好物だが、カステラをふわっと貫通した前歯がズッと羊羹に食い込む食感が果たしてそれほど良いものか。一度食べてみたいね。

 

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