うきうきマンドリル

鼻の角栓抜くのの次くらいの暇つぶし

高望みだと知って高望みをやめられるものではない

他人と比較するから憂鬱な気持ちになる。自分より豊かに生きている人を見ると羨ましくなる。その”豊かさ”もその時々で多種多様であってキリがないのだが、とにかく他人の人生に思いを馳せてはウットリする。自分のポテンシャルもわきまえずいろいろと欲しがるも、行動力は無いものだから、頭の中でひとしきり悶々としたところであらかた満足してしまうのだが。

 

なんでもかんでも羨ましい。性に奔放な友人がいて、休みの日になると街に繰り出してナンパをし、いわゆるお持ち帰りまで完遂してくるという武勇伝を飲み会で聞かされる。そのたび「性に奔放になりてぇ・・・」と思うのだが、願って簡単になれるものでもないし、できっこない。彼とは住む世界は明らかに違うのだから。たまたま同じ大学に入学し、1年生のときに近くの席に座っていたというだけの接点で繋がった世界だ。でも羨ましいものは羨ましい。

 

大学の講義に真面目に出席し、教授のもとに質問に通い、成績上位で奨学金を貰っているクラスメートが羨ましい。部活に打ち込みトーナメントで上位の成績を残している先輩が羨ましい。レジャーを企画して大勢で群れていかにもな大学生を満喫している友人が羨ましい。アルバイトでコツコツお金を溜めてアクアリウムなんていう素敵な趣味に打ち込んでいる友人が、厚顔無恥な馴れ馴れしさで先輩に絡んでいき結果として異常な交友を手に入れるクラスメートが、なんの取り柄もない冴えない奴だと思っていたのに楽器を手にした途端めちゃくちゃかっこよくなる軽音部のアイツが、みんなみんな羨ましい。

誰も彼もが僕の羨望の対象になる。それぞれが自分の得意分野、趣味の分野でイキイキしているところを、僕が勝手に眩しがっているだけなのだが。自分の得意分野、趣味がないから羨ましい、、、のかな。

 

客観的に見れば、いや完全主観であっても僕は十分に恵まれた環境で生活しているはずなのに、人が楽しそうにしているとネガティブにずーーーんと落ち込んでしまう。もっと今の自分の周りに感謝を、、、って話はこの前やったか。自分のいないところで皆が笑っているのが嫌、と言ったらなかなか性格に問題があるように思われるなw

 

でも羨望とか嫉妬とか僻みとかの負の感情があってこそ、人のユーモアは育つって、ブラックマヨネーズの吉田のトークなんかを見て当時中学生の僕は思ったんですよね。だから今までは過剰にネガティブな自分の感性を極端に大事にしてきた部分があるんですよね。最近になってそれが良いことなのか悪いことなのかを考えるようになった。よく分からん話を書いてしまったけど。