うきうきマンドリル

鼻の角栓抜くのの次くらいの暇つぶし

中学受験を控えていた僕が提出した夏休みの自由研究とは

僕は小学校5年生のときから、大手の進学塾の分家みたいなところ(?)に通い、中学受験に備えていた。大学受験でも口酸っぱく言われるように、中学のお受験においても夏休みは受験の天王山であり、「夏の勉強を制したものが受験を制す」というスローガンは塾の講師室の前にデカデカと張り出してあった。

僕らが6年生の夏休み、塾側は、生徒の受験勉強をサポートするために朝から晩までみっちり詰め込んだ夏期講習を用意していた。朝9時から夜10時とかだった気がする。買ったばかりのゲームボーイアドバイスSPでポケットモンスタールビーを、親の目を盗み、塾講師の目を盗み、朝から晩まで遊び倒していたクソッタレ受験生(11さい)だった僕にとっては夏期講習も冬期講習も関係なかったのだが。

塾で教えられる中学受験の勉強というのは、義務教育で小学校に通っているだけでは、どれだけ真面目に授業を受けてテストで満点を取ったとしても及びつかない、別次元の世界だ。もう10年も昔の例だから今の時代の子のことは分からないが、たとえば算数は、中学校レベルの数学を、方程式を使わない代わりに「植木算」や「鶴亀算」というガラパゴスチックな手法を用いて解いていく。絶対に小学生では習わない解法を大量に暗記し受験に臨む。クソッタレ受験生こと僕は、巣鴨中学の角度の計算問題を目分量で解くというカスっぷりをかました。もちろん落ちた。

普通ならば、本当に血の滲むような努力の末にしか、有名私学の合格はあり得ないのだ。そんなハイレベルな勉強を要求する進学塾にとって邪魔だったのが、学校が課す夏休みの宿題だ。生徒の受験勉強の時間を確保させるために、塾側はなんと生徒の自由研究をサポートしてくれた。その内容が、カエルの解剖だった。

塾には実験室が備えられていた。理科の化学反応の授業の際には試験管にアルミニウムと塩酸を入れ、ブクブクと気泡が出てくる様子を実演していたりもした、その実験室に、夏のある日、大学院生のバイト講師はエタノール入りのビニル袋の中で暴れ狂うウシガエルを連れて現れた。前日には、各自カメラ、メモ帳の持参の指示が言い渡されていた。

「今から開いてくから、テキトーに写真撮ってて」

そう言って、静かになったカエルを仰向けにし腹部をメスで切り開いていく院生。幼少期にエジソンやファーブルの伝記を読み科学者に憧れ、近頃ではゲーム、漫画の影響でマッドなものに厨二心をくすぐられるようになっていた僕はワクワクを抑えられなかった。

跳躍力を維持する後肢の神経、長い腸管、胸腔から開放されて膨らむ肺、切り離されても弱々しく脈打つ心臓。わーすげーすげー!と使い捨てカメラのシャッターを切る少年たち。一歩引いたところから見ている女の子。

そんななか、一人、むしろ男子よりも解剖台の近くを陣取る短髪の少女。算数と理科で全国模試一桁入りという、小さな田舎の当塾に在籍していることがミラクルな、塾長お気に入りの天才のミキちゃん。

密かに想いを寄せていた思春期の僕は、彼女のことをエンドウさんとしか呼べなかったけど。彼女は爛々と目を輝かせ、カエルの臓物をピンセットでつつく。小学生にしてリケジョとして完成されていたエンドウさん。未だにボーイッシュな女の子が好きな僕は、ショートカット、色白、上下真っ黒の半袖短パン姿のあの少女に大きな影響を受けている。先生の解説などうわの空だった。

「ほら見てーーー」

ウシガエルの心臓を手のひらに乗せて僕のほうへ向けてくるエンドウさん。雪国の子どものような、常に白い頬に朱を差したような柔らかな笑顔で、ずいぶんとエグいことをしてくる。別に僕は当時から虫とかカエルとか平気だったけど、エンドウさんったら大層ご機嫌だから、

「わー、やめてやめてーーーw」

とかリアクションしていた。僕の数少ない甘酸っぱエピソードである。

思春期の男の子に勉強なんてさせるものではない。もっともっと大切なものが育まれる時間がそこにはある。冬になり、受験本番シーズンに突入した頃、僕は自分の意思でコントロールできないmy son(12years old)の律動を初めて経験した。以後、祖父母宅のマッサージチェアに跨がり、ずっとそこから離れられないという"時期"に入った。第一志望には落ちた。滑り止めの底辺男子校に入学し、青春期を灰にして飛ばすという、人生最大の過ちの序章であった。