うきうきマンドリル

鼻の角栓抜くのの次くらいの暇つぶし

満足な夏、不満足な夏

旅行、花火、バーベキュー、海水浴、部活の大会、キャンプ、飲み会、地元の友人と食事、ビアガーデン・・・。

くすぶっていた浪人時代の僕からは想像もつかないレベルで充実した夏休みを送っている大学生の僕。当時は死ぬまで大学に合格せずにそのまま朽ちていくのだろうと本気で思っていたし、奇跡的に浪人の長いトンネルから抜け出したとしても、もっともっと冴えない大学生活を送っているものだと思っていたのだ。それが、大学に進学してから経験した3度の夏は、どれも安定して楽しい、大学生らしい質を保った夏。

そのはずなのに、なんだろう。この物足りなさは。空しさは。川で冷やしたスイカだって食べたんだぜ?


たしかに、受験が終わって迎える大学生初めての夏休みは充実感に満ち満ちていた。これが大学生か、リア充かと。当時のブログを振り返る。

2013年7月22日

しょぼい夏休みの幕開け
期待するからいけない
慎ましく、慎ましく

 

 

2013年8月30日

オープンキャンパス、花火大会、勉強会(?)、プール、遊園地、海、夏練、大会、飲み会、帰省、キャンプ、沖縄旅行
中でもキャンプは最高に楽しかった
充実したか、してないかで言えば間違いなく、してた
自分がこんなに遊んでるとこは想像できなかった
自分のイメージした理想の大学生の夏休みの一段上を行っている
やっぱり環境には恵まれているようだ

あとはビアガーデンとお祭りと東南アジア旅行と地元の友達と会うのと大学の勉強、それと彼女がいればパーフェクトだったな

こんだけ遊べてしまうと、休み明けの試験勉強も頑張れる気がしてる
毎年こんな楽しいイベントがあるんだろうか

 

(なお、休み明けの試験は頑張れなかった模様)

 

2013年12月15日(忘年会の日記)
孤独なヒキニート生活から脱却した先には、承認欲求を満たしてくれるそれはそれは楽園みたいな場所があって
 (中略)

人生の幸、不幸は振り幅
激動の1年であった今年は忘れられない1年になった

なんだか幸せそうだな・・・。やはり、浪人時代のつらさがフリとなり、自由な大学生の夏休みが何倍も楽しく感じられたということなのだろう。それが大学生3年目ともなるとその楽しさにも慣れ切ってしまい、それが満足を感じる最低限のラインとして設定されてしまう始末で、ちょっとやそっとのことでは充実感を得られなくなったのだ。

人の欲は無限大だ。新たな刺激を得ないと常に満足感を受け取り続けることは難しく、果てには空しさというネガティブな感情までが生まれてしまう。しかし世界は自分を中心には回っていない。自分の思い通りにばかりならないということを自覚するべきで、そもそもの自分のポテンシャルだって疑ってみるべきなのだ。

幸福は振れ幅だと、僕の尊敬する先生が言っていた。辛いこと、悲しいことを経験し、それをグッと耐え忍び、あるいは乗り越えることで、のちに楽しいこと、面白いことが、その前フリの大きさからより鮮やかに自分に降りかかるという。(ん?宗教?笑)似たようなニュアンスで、芸人バナナマンの設楽治が楽しみと苦しみのバランスを、いったん後ろに下がってネジを巻きその後走り出す「チョロQ」にたとえていた。その論に当てはめると2年前の僕は闇の受験生活から抜け出した直後で、開放感マックスの大学生という環境を謳歌しまくった。為すことすべてが輝いていた。彼女なんて、正直いらなかった。楽しかったなあ。

 
つまりだ。僕がこの空しさから解放されるために必要なのは、辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、不幸せなことだ。日本沈没、性病発覚、財布海パンのポケットに入れっぱなしで海、炊飯器から陰毛が、ブログ身バレ、試験勉強・・・。あ、これだ。試験勉強だ。遊びばっかりでこの2年半勉強してこなかったから留年もしたし、充実感も得られないんだ。

試験勉強を苦しいなりに一所懸命取り組む。そうすれば試験日程がすべて終了したのちに組まれた遊びのスケジュールが燦然と輝く。そうに違いない。僕は信じている。そうやって信じて目の前のことに真摯に向き合うことだ。未来なんて実際にどうなるのか、誰も知りえないのだから。

(文章にして、「ヨシ!これで当面はやっていける!生きていける!」と自分に言い聞かせておかないと不安でどうしようもなくなる僕です)