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うきうきマンドリル

鼻の角栓抜くのの次くらいの暇つぶし

歌下手学生のカラオケ・コンプレックス

オモシロイと思って書いてる ハイパー自分語り

リア充と非リア充を隔てるもの、それは恋人がいるかでもなければ友達が多いかでもない。カラオケを純粋に楽しめるかどうかである

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蘇る記憶

昨晩、某氏がひとりカラオケの模様をネット配信するということで、僕はツイキャスの個別画面で待機していた。

彼は 「近頃外に出ていないから声が出ないと思う」「(バンド経験のあるリスナーたちに対して)恥ずかしい」などと繰り返し供述していた。彼自身にその言葉でリスナーを欺こうなどの意図は微塵もなかったのだろう。あくまで謙遜の範疇だ。しかし

準備に手間取ったようで予定より30分遅く始まったカラオケ配信。一曲目はSMAPの「夜空ノムコウ」。歌いだしからリスナーの感想はひとつに収束する。

(普通に上手いやん!!)

高めの音域を難なく歌いこなす歌唱力を褒め称えたい気持ちの裏に、ずっと長い間蓋をしていた、負の感情が顔を覗かせていたことに僕は気づかざるを得なかった。

あれは僕が新入生の頃

希望の大学へ晴れて入学した僕。新しい街、憧れの一人暮らし、新しい友達、美人の先輩。目にするもの全てが輝いて見えたあの日。2年後留年するだなんて夢にも思っていなかったあの日。

大学入学直後の新入生は、部活・サークル選びのために4月いっぱいを新歓(新入生歓迎会)の参加に費やす。僕はある日、テニサーの新歓飲み会に参加し、やめときゃ良かったのに3次会のカラオケにまで付き合った。


話が前後するが、僕はこの新歓の日までカラオケボックスに入ったことすらなかった。学校の授業で自分に音楽の素養がまるでないことを自覚していた僕は中高時代、数回くらいはかかったカラオケのお誘いもことごとくお断りしてきた。自分のお粗末な歌声を、親しき仲とはいえど他人にさらけ出す勇気が最後まで出なかったのだ

そんな僕だから、当時仲良くしていた友人らがカラオケにハマり、放課後の寄り道がゲーム屋からカラオケに変わると、僕は友人らの群れから自然と離れていった。寂しさだけが残る結果となったが、それくらいカラオケが駄目なのだ。

もっと足が速かったら、ドッジボールが強かったら、遊戯王カードをいっぱい持っていたら、勉強ができたら、カラオケが楽しく歌えたら、、、もっと周りの同世代とのコミュニケーションが潤滑になっただろうに。僕の思春期はそんな劣等感ばかりに支配されていた


話は戻って大学生。その傾向は今までにも増して如実に表れていた、ように感じた。

千鳥足で3次会のカラオケに向かうさなか、その日初めて知り合うこととなった1年生たちとカラオケについて話した。

「俺浪人中は全然歌ってなかったから絶対声出ないわーw」

(ウェーーーイwwwww)

「俺音痴だからすげー恥ずかしいわーw」

(ッツォーーーイwwww)

しかし彼らはその舌の根の乾かぬ内に、見事の声量と音感で流行歌を歌い上げていた。

(話と違う・・・!?)

憐れ、真の音痴は僕だけだったのだ。

周りの1年生たちもどんぐりの背比べならば勇気を振り絞って歌ってもいいかな、と思っていた僕は、同級生の一人の歌いだしを鼓膜に受け取るやいなや、暗い暗い亜空間へ、独り投げ出されたような感覚に陥ったのだ

心に重い重い蓋をしたので記憶が曖昧であるが、その日僕は酔ったようなフリをして、一曲も歌を歌うことはなくカラオケボックスを後にしたはずだ。そこにあるのはやはり、自分の劣ったところをさらけ出すことへの抵抗感であった。

「大学生の主なコミュニケーションツール=カラオケ」

この式が本当に成立していたら、僕の大学生活は今と比較のしようがないほど真っ暗なものになっていただろう。初めてのうちはそう勘違いして出鼻を挫かれたような気持ちでいたが、次第にそれほど重たい問題ではないということに気づくことができて救われた。

近頃の飲み会中心の生活を例にとると、1次会からカラオケということはまずない。1次会:飲み、2次会:飲み、3次会:カラオケ(朝まで始発を待つオールコース)というのが基本のパターン。それならば2次会終わりでドロンしたとしても、それほど名残惜しさを感じることなく帰路につけるというものだ

きっとお酒自体が飲めない人、飲み会のノリが嫌いな人などは似たような心理で飲み会コンプレックスを抱えているのだろう。各々苦手な分野というのは必ずあるのだ。一つのことに捕らわれすぎることはない。元気出していきましょう

こんな結論にするつもりはなかったが、気の向くままに書いたらこうなった。それでも歌える曲は数曲用意しておいたほうがいい気はするが・・・