うきうきマンドリル

鼻の角栓抜くのの次くらいの暇つぶし

センター試験の思い出

センター試験、受験についての思い出話はその気になれば数万字レベルで語ることができるが、それではキリがないので記憶の断片を。


高校3年生で受けたセンター試験は数学の問題の難化傾向に玉砕した。その年くらいから英語や国語の問題にふざけたネタが盛り込まれているとネットで騒がれ始めたと記憶しているが、僕はそんなお祭り騒ぎのなか上の空だった。冷えた体を湯船に沈め、さめざめと泣いていた記憶がある。母親の作ってくれた豚汁を啜って、その日二度目の涙をこぼした。

その日以来、受験の失敗で泣くことはなかった。負け癖が身に沁みつき、感情が鈍化する。個人的には大学受験は浪人しないほうがいいと思う理由はこの一点である。失敗して当たり前。いつか奇跡的に自分の得意分野だけが出題される日が来る。その日まで寝ていよう。親不孝極まる楽天家を生み出すことになる。座右の銘は「果報は寝て待て」。僕だけかもしれないが。


浪人中は予備校に籍を置いたが今と変わらずサボりがち(がち、のレベルではない)だった。月間出席率が予備校から自宅に郵送されてきた。郵便受けに入っていた「出席率18.ホニャララ%」の便箋を僕は握り潰してポケットにねじ込んだ。

今でも引きずっている傾向であるが、受験の世界に身を置くと、いかに自分が頑張れない人間であるかを日々思い知らされた。それを撥ね返すだけの気力のない僕はネット、アイドル、落語、手を変え品を変え現実逃避に勤しんだ。「受験生」の名を借りたニートが出来上がった。

浪人なんかすると人より多くの入試問題を解くことになる。模試も含めれば河合塾だけでも最低年間7回は受ける。数をこなせば解答能力は自然と上がってくる。僕にとっての受験勉強は予備校で強制的に受けさせられる複数回分の模試と河合塾大西先生の「冬期講習 センター化学Ⅰ」がすべてだった。


奇跡的に合格通知をくれた大学があった。模試の偏差値を見る限り手の届かないはずの大学だった。受かった僕自身が一番不思議だった。父親が闇金に手を出し大学にワイロでも送ったのかと思った。母親が学長に抱かれに行ったのかと思った。喜ぶ両親のテンションに若干引き気味の自分がいた。

受験勉強もろくにやってこなかった僕が分不相応な大学に入ったところで、大学で勉強することの実感は湧かなかった。周りは地元の上位進学校の出身者がほとんどだった。僕の落ちぶれは加速した。頑張れない自分はいっそう頑張れない自分になった。そして昨年、留年した。

人生広く見渡せば受験や大学で落ちぶれて病むことなんてちっぽけなことなのだろう。だが今の自分にはこの世界が全てだからなおのこと落ち込む。今や遠い記憶となったはずの一月中旬の恒例行事が未だに僕の自己肯定感を蝕んでくる。