うきうきマンドリル

鼻の角栓抜くのの次くらいの暇つぶし

同級生たちには敬意を表する

試験も残りわずか。どうしてもやる気が出ないままに終わってゆく。勉強から逃げるアクションを選ぶたびに自分の首が絞まっていく感覚がリアルに感じられるのに、頭のネジひとつ取れている僕は依然として本を開かない。

 

試験前夜、深夜帯に同級生たちのTwitterを見ると皆が苦しみの声を上げながら、時に励ましのリプライを送り合いながら試験勉強に勤しんでいる。勉強を投げ出して無意味に夜を更かしている僕はあくまで外野。彼らのつぶやき、やり取りを傍観者として、それでも劣等感をひしひしと感じながら眺めている。なんで僕だけ...。

 

同級生のなかで特に成績のいい部類のやつらも午前3時のタイムラインにいた。本心かどうかは分からないが必死さを醸すツイートを投じている。こんな、入試の頃からずっと成績のいいやつらですら、前日に夜遅くまで勉強しなければ試験に受からないものらしい。僕が試験当日の朝に早起きして数時間勉強するだけで通用しないのも無理もない話だ。思い知った。それでも僕の疑問は残る。

 

なんで皆そんなにがんばれるの??

 

留年したら多額の学費が無駄になる、再試のせいで休みが潰れる、将来の目標を叶えるため・・・

いろいろと挙がるんだろうけどそれでも。人間は可能な限り楽できるほうに、楽できるほうにと流れていく生き物だと、そういうものだと伺っていたのですが?上の学年の、首席の先輩がツイートで「試験終わったー!勉強から解放されるー!」と言っているのを見て、成績優秀者が皆勉強大好き人間じゃなかったんだと知った時も驚きでした。なんで辛いことをわざわざやるのか。もっと現実から目を背けて、今のぬるく甘やかされた環境を満喫すればいいのに!やらなきゃいけないことだからやる、ただそれだけと済ませるものなのでしょうか?理解できない。

 

同級生が必死に勉強している一方でこんなことをグルグルと考えて夜更かしして、最後には試験に寝坊するんです。同情の余地がないですよね。僕だって本当は自分を変えたいのに。同じ大学の同級生の9割が、当たり前に、か無理してかは分からないけど、出来ていることを当たり前に出来ない無能な自分。劣等感に苛まれる。今の僕の根性と脳みそでは、いわゆるFランといわれる大学でも卒業できないでしょうね。脳みそのクオリティについては今までに使ってみたためしがないので、どれくらいちゃんと働くのかも定かではありませんし。

 

しかも変わりたいと口では言うのに、こんな生産性のないブログを書いて道化を演じることに悦びを感じているのです。本当に自分を変えたいと思っている人間ならばこんな恥知らずな遊びはしません。留年という苦い苦い薬を投薬しないとこの怠け癖、負け癖は治らないのでしょうか。